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ポエティーク的♡ラブ パートⅠ


(English follows Japanese ; )



フゥ。。


2杯目のコーヒーと共に優しい午後に入った。


ちょっと時間ができたから、


以前アマゾンで購入した手付かずの本でも開こうかな。


読むために買った筈なのに、ヤダ、だいぶ時間が立っちゃってる。


いつ読んでもらえるのか、本の方でもかなりヤキモキしてたはず。


「早く〜、まだぁ?」って


棚の近くを通りがかってそれが目に入る度にそう言われてる。


「ちょっと待って!」


ええ、タイミングが必要なのです。


ちゃんとした本や映画を見る前には、いつも身構えてしまう面倒くさい癖をお持ちなのです。


何か大きな影響を受けてしまうかもって、


これで自分の中の何かが変わってしまうかもって


心の感知センサーが勝手に作動するから、


何か深い深呼吸が要る”覚悟”のようなモノを感じてしまう。


読む前から少々疲労気味。


それは、“正面からちゃんと向き合おう”的な、


“一度開いたら元には戻れないかもしれないかも”的な、


まるでマリッジブルーならぬ、コミットメント・イシュー。


無駄な想像力が邪魔をする。。


だから、


サラリとめくれるファッション雑誌や、


気の抜けたお笑い番組の方がよっぽど楽な時がある。


興味がないページは飛ばせばいいし、


ピンとこなけりゃチャンネルを変えればいい。


分かってる、分かってる。


そんな真面目くさる必要ないっていうことくらい。


でもよく言えばそれって、


相手に対して“真摯に向き合おうっ”ていう誠実な態度でしょう?


安物の愛は要らないってことなのよ!


適当に始めてパッと消える愛なんて、


まるで適当に集めたキャストと中身のない脚本で構成された安いテレビドラマじゃない?


って、皮肉たっぷりのコメントを自分自身に浴びせて。


でも・・・


その裏側で、何か小さな声が囁いてる。


「それって、偏見よっ!」って。


ナヌ?


それからこう。


「もうそろそろ気が付いてもいいんじゃない?」


他人に言われるとムカッとすることも、


自分の中の「天の声」には、何故か素直に受け入れられる。


それはどうやら、その人(?)が絶対の味方だと、根拠のない確信があるからかもしれない。




2月は”愛”の月。 (勝手にそう呼んでます笑)


バレンタインもあるから、ここでちょっとだけ“愛”について考えてる。


「私の中の天の声さん、本当はちゃんと気づいてるわよ。」


未知の自分と出会えるヒント、成長させてくれる出会いはどんなところにも転がっているって。


それが丁寧に装丁された美しい本でも、美容院で手に取る傷だらけの雑誌でも。


制作費うん億円の映画でも、地上波で映るお馬鹿なバラエティー番組でも。


手作業でしつらえられたシャネルのスーツでも、H&Mのトレーナーでも。


仕事の延長で出会う相手でも、マッチングアプリで出会う相手でも。


何も変わらない。


ただ姿を変えて、色んなところに潜んでる。


ちゃんと「ココロの目で見てるかー?」って、誰かに試されてるみたい。


「天の声」が言う通り、偏見を持つことは確かに可能性にフタをしちゃってる。


「はいはい、承知ですぅ。。」


不機嫌そうにしぶしぶそう承諾せざるを得ない一方で、


(いつからそうなっちゃったのかな。。?)





アートは心のセラピー。


絵やモノを創造するときは、ふと本当の自分が重なり合う。


そんな時、心の中でいつの間にか凍りついている部分に気がつくもの。


例えば、かすり傷みたいに小さなものだったりするけれど、


傷って小さなものでも痛むから、


それを受けた道をなるだけ通らないようにして他の道を探しだす。


でも、可愛いスミレはあっち側の道にしか咲いていなくて、


そっちの道が気になってしょうがない。


どうしてもあの紫色の綺麗な子を見たいから、いつでもあっちをチラチラ。


でもやっぱり痛みって怖い、


やっぱりこっちの安全な道を選んでしまう。


そうして知らない間にその“チラチラ”が癖になってる。


「関係ないわっ、十分ハッピーだもん!」


って思うこともできるけど、癖って自分じゃ気づきにくい。。


「あれ?なんか居心地悪い?」


普段見えない傷口が人との熱い交流の中で不意に顔を出した時、


一瞬の戸惑いと共に自己防衛のあらゆる装置が一斉に発動!


そのまま立ち去っちゃおうか?


それとも、目をそらさずにちょっとだけ立ち止まって近づいてみる?


もしかして、消毒さえすれば済むかもしれないし、


もしかして、緊急手術が必要かもしれない。


もしかして、傷はもともと“傷”なんてものじゃなかったのかもしれない。


もし一瞬でもそんな疑いが心を過ぎったのなら、


きっとそれが乗り越えられるチャンスの時。


どちらにせよ、どこかに痛みがあるのなら見つけてあとは治していけばいい、


焦らずに淡々と癒してく、それだけのこと。


いつでも自分への“愛”を大切にしたいもの。


また、あの可愛いスミレの咲く道を堂々と通れるようになれますように。。



「自分を変えられるのは、自分だけだぞ。」


って、さっき散歩の途中ですれ